目がいい人のことなど
・視力が卓越しており、「物体が汗をかいているのが見える」人
本やカップも、よく見ると汗をかいているのだという。窓などの温度差による結露を「汗をかく」と表現するが、そうではなくて、物体も生き物のように代謝しているという話であった。
私は電話を取るのが苦手で、業務上やむなく応対するときは腕がガクガク震えるし、手汗もかく(呂律も少し怪しい)。しかしもしかすると、これは私の手汗ではなく、受話器が緊張のあまりかいた汗だったのかもしれない。
そう思うと、1人で怒られるより2人で怒られた方がいくらかマシなのと同様、電話が一緒に緊張してくれることで、少しは気が和らぐというものである。
・「ヘビーかヘビーじゃないかより、俺は自分が助かることだけを考えるぞ」と言って屋根から飛び降りる人
何かに追われている人間が、一時的に結託していた仲間に吐き捨てて逃亡した、というニュアンスであった。言われた私も意を決して飛び降りたような感覚があったので、煽りとしては大正解だったということだ。そのつもりだったかはわからないが。
まあ普通の人間なら、自分が助かることを第一に考えるのは当然のことなんじゃないですかね、そこでそいつが助かってくれたら起死回生のチャンスもあるというものだ。見捨てられずに共倒れよりよほどいいのでは? と思う。もちろんどこかには共倒れしたい人もいるのかもしれないが、どうぞどうぞ、という感じだ。
こういうセリフは脳みそのどこからひねり出されているのだろう。過去に見た/聞いたものがオツムの余白に蓄積し、長年の変質を遂げて発露するものと思われる。まあ夢というものは全般が、そういうものなのかもしれないが……。
自分が一から考えたと思って使ってしまうと、盗作になってしまう危険があるな、と心配になる。映画のエンドクレジットよろしく、夢の後に出典を並べてほしいものだ。可能なら監督や脚本も教えてほしい。
刺された子
心臓のあたりを刺したのだろう。
薄暗い書斎である。微かな陽光が、宙の埃を光線のように見せていた。友人は少女と向かい合い、私は跪いて少女の後ろ姿を見ていた。友人の顔は逆光でよくわからない。
正面からなのでうまくいかなかったのか、すぐには死なず、少女はこちらを振り向いた。動くことができず、じっとその目を見た。
「肋骨が邪魔でね、」友人は今度は後ろから刃物を立てて説明する。「背中からじゃないと心臓に達さないし、刃は横向きにした方が骨に当たらない」
少女は声も出さず、少し困った顔をした。何をされているのか、わかっているのだろうか。
足元に血だまりができて、手で支えると、力が抜けたように崩折れた。床に寝せると、友人がビニール袋を持って来た。中に詰めるように言われる。それから我に返ったように、ああ、しまった、本当に殺してしまった、と呟いた。特に口止めされなかったが、それは暗黙の了解だ。
2人はよく似た顔をしていた。すっかり忘れていたが、親子なのだった。
早く自首したい気持ちと、友人を庇いたい気持ちとがあり、時間を稼ぐために交通用の高速リフトで逃走した。何らかの機構によって遠心力を利用し、車より速く遠くに行ける乗り物で、手でぶら下がっていないといけない。上下の落差が激しく、体操選手のようにバーを起点に回転し、心臓が止まりそうになる。刺された人間を見ているときより胸が苦しいのが、少し可笑しかった。あるいは感情が遅れてやってきたのかもしれない。
このままなかったことにしてしまうのは、私が殺したのも同じこと。初めて会った子どもよりも友人の味方でいたい気持ちがある。
同時に、正しいのはきっと自首して何もかも言ってしまうことで、おそらくその方が友人のためにもなると思われた。なにより、私自身が罪を告白して、早く楽になりたかった。
いままで何人か殺したが、あんなに幼い子が死ぬのを見るのは初めてだった。
魚を叩きたくないおじさんのことなど
・「天は大魚を叩くなり」と言って大魚を叩くよう言われたおじさんが、それは嫌だと泣きながら拒否する
おじさんに命令しているのは漢詩の挿絵に入っている仙人のような人であった。おじさんは魚を可愛がっていたので、殺したくなかったらしい。叩くというのが屠ることのようであった。
大きな魚は信じられないくらい大きい。先日、漁の番組を流し見していたのだが、ナントカマグロというのは私が中に隠れていてもバレなさそうなくらいだ。私とマグロの捕食関係は本来逆なのではないかと思う。
好きな小説に、鯨の剥製に小部屋を作り、他の星に潜入するシーンがある。トロイの木馬のようなものだ。博物館で見るとシロナガスクジラの骨格標本は惚れ惚れするほど大きいので、なるほどなと思う。
海浜に打ち上げられるニュースがよくあるが、一度でいいから間近で見て見たいものである。生きているならもっと良いが、それだと誤飲されてしまいそうだ。
・追われて橋にぶら下がる少年が、川が浅いのを知ってニッと笑い、淵に落ちていく
ついこの前、華厳の滝を見た。マイナスイオンとやらが目に見えたなら、花粉のようにそこらが霞んで見えたろうと思う。水と水が当たる音は好きだ。冬でなければもっと気分が良かったかもしれない。
滝に打たれると肩こりが治るときいたので、いつか試してみたい。ナイアガラに打たれたらどんな気持ちだろう。考える前に頭が潰れてしまうかもしれない。
・褐色黒髪ショート白ニットの女性
広告のようなイメージのみだった。
ブレードランナー2049やゴーストインザシェル(実写)を見たとき思ったのだが、3Dホログラムの広告というのは、危ないのではないか。ビルの上にバルーンさながら表示されるならまだわかるが、道端を人のなりして歩いていると、交通事故が起こるに決まっている。
しかしそれはそれとして、ビジュアルがかっこいいので、実現してほしくはある。
蛇口から顔
幼稚園から小学校にかけて、風変わりな老人のアトリエで、絵を習っていたことがある。習ったといっても技術を教えてくれるわけではなく、週に一度アトリエに行っては、好きな絵を描いて帰ってくるのだった。生徒たちも、絵というよりは脳味噌のような迷路ばかりを描いていた。
それよりも記憶に残る教わったものは、カエルの調理法や、風の強い日に傘で飛ぶ方法だった。指先をこすって、煙を出すことのできる先生だった。引っ越してしばらくは年賀状のやり取りをしていたのだが、この十年ほどは送っていない。
同じ教室に通う友人姉妹がいた。姉の方は、確か私より一つ年上だったと記憶する。妹は、それよりもいくつか年下であった。毎週一緒になるわけではないが、展示会などがあると一緒に行ったし、幼稚園に親子で迎えに来てくれたこともあった。
この親、つまり姉妹の母親にあたる人だが、首筋のすっきりした黒髪の、綺麗な笑顔の人であった。私は何故だかこの人のことが恐ろしく、それは見たことのないような笑顔だったからだと思うが、今思うと少し作り笑いのような感じなのだった。
ある夏の暑い日であった。幼稚園が休みの日に、亀の世話をしに来た私は、水を飲もうと水道の蛇口を回した。その日初めてひねられたであろう蛇口は、一瞬の間をおいて、水を吐き出した。が、よく見ると黒いような……、
出てきたのは真水ではなく、おびただしいオタマジャクシであった。仰天した私は飛び退ることもできず、その場に縫い止められたように固まった。一匹一匹のオタマジャクシには全て顔が付いていて、それはまさしくあの、友人姉妹の母親の顔なのだった。
流しいっぱいにぬらぬらとうねるオタマジャクシの大群は、少し笑っているように、口角を持ち上げていた。小学生の時分に美術史で習ってから、ああいう笑顔をアルカイックスマイルというのだと知ったが、この時は笑顔が宇宙人のように思えて不気味であった。
空を飛ぶのと同じことの話
放置していた携帯電話を充電すると、不在着信が入っていた。しばらく疎遠になっていた友人からであった。
折り返しの電話をかけると、今度は相手が出ない。留守電に残すほどではないと思って一度切ったが、しばらくするとやはり気になり、結局メールした。着信があったが、かけ間違いだろうか、それはそうと久しぶりだが元気にしているか、という内容を打つ。
その日は返信が来なかったのでそれきり忘れていたのだが、一週間ほど経って応答があった。なんとなく電話したくなっただけだという。これがきっかけで、久々に会うことになった。
およそ10年ぶりの友人は、当時の記憶から抜け出したように変わりなかった。成人してから会うのは初めてだ、せっかくだから一杯飲もうと言って笑った。
たぶん会って話したいようなことがあるのだろう、という予想が当たり、友人はさっそく口火を切る。いま迷っていることがあって、なかなか実行する勇気がない。お前は新しい仕事も順調だし、結婚して家庭もあると聞いたが、どうしたらそんなに色々なことに踏み出せるんだ。
友人が何をしようとしているかは、言い渋ってらちがあかないので、深入りしないことにした。何かに挑戦しようとしているのだろうと検討をつけて、ガラにもなくアドバイスなどする。友人はふうん、とわかったようなわかっていないような返事だ。背中を押すつもりで、お前なら絶対できるから、何も考えずにまずはやってみなよ、と肩を叩いた。
帰り道、友人からメールがきた。応援したことへの感謝から始まっていた。
「決心するには、思考が追いつく前に身体を動かしてしまうこと。つまり、迷わないうちに足を踏み出してしまうのが、成功の秘訣なんだろう」
メールを読み終えるとそこで充電が切れてしまい、そのまま返信せずにいた。
この一週間後、友人の訃報が届いた。見ていた人の話では、高いビルから飛ぶように落下したのだということだった。
デスマスク体のことなど
・デスマスク体
ですます体のことかもしれない。
慣れの問題なのだろうが、ですます調は冗長に感じられるので苦手だ。しかし「苦手だ」も「苦手です」も大して字数は変わらないので、まあ印象の問題だろう。
翻訳物でこれにぶち当たると、であるだ調で別の訳書がないか探す。我が家にある指輪物語はですます調で、読みづらさと文字の薄さ(そういう仕様なのかもしれないが、インクが掠れている)から、1冊読み終わるまでに3回挫折した。2冊目からはまだ読めていない。
・「病院にいる人たちみんな元気?」
と知らない人に訊かれる。いま現在、幸いにも病院にいる知人はいない。親戚が先日退院したらしいが、その理由が「風邪が流行ってるから家に居たほうがまだマシ」と言われたからだと聞いて、笑ってしまった。
・「正確にはカフェオンリーで、紅茶はNO」
言葉が残るタイプの白昼夢は、たまに本当に誰かがそばで喋っていたのではないか? と思うほど鮮明に記憶に残る。
カフェといえば先日、もらいもののベトナムコーヒーを飲んだ。コンデンスミルクを入れてから作るらしく、普段砂糖を入れずに飲むので非常に甘く感じる。コンデンスミルクなしで飲んでみても、酸味が少なく、バニラのごとく甘い香りがする。
最近知ったライフハックに、ラムネ(ブドウ糖)とコーヒー(カフェイン)を一緒に摂取することでエナジードリンクと同じ効果を得るというのがあった。現在2週間ほど続けているのだが、なかなか集中できて良い。しかしそれはそれとして、レッドブルは味が好みなので、肝臓に影響さえなければ、常飲したいほどだ。似た味のジュースでも出してくれれば良いのにな、と思う。
この前は輸入品を扱うカルディで、カフェインが高いと噂のショカコーラを見つけて買ってみた。苦くて好みの味ではあるが、効果のほどはわからなかった。素敵な缶なので、何を入れるか考えていたが、特に思いつかない。
追われる少女と蛙
何か取り返しのつかないことをしてしまったようだった。
追われる身として、目立つ方法は避けたかった。彼はトラックの荷台に隠れてどこかに行こうとするが、結局逃げられない気がして降り、そこから徒歩で最寄りの駅に向かう。当日の乗車券をぎりぎりのところで取り、飛び乗った。女がいた。彼女も逃亡者で、人目を誤魔化すための道連れを探していた。二人で都心を離れようとする。
いつのまにか警察が乗っていたが、それは二人を追っているわけではなかった。理由はわからないが、野良猫のような一人の少女が追われている。何かのきっかけで彼は少女を匿うことになる。女は初め、足でまといだからと反対していたが、そのうち打ち解けて面倒を見るようになった。
車両の客は少なく、その一人の巨漢は味方になった。車掌が来るときは、少女は足元に丸まってコートを掛け、荷物のふりをした。ドアの向こうに警官が数人いるが、特に気づく様子はなく、車両にも入らない。
よく晴れていた。新幹線を降りると、少女は一目散に山に駆けていった。なぜだかわからないが、警官は少女を見逃すことにした。また、女は自首した。彼と女は警官との話し合いが済むと、少女の後を追って山に入った。
少女は山間の見晴らしの良い野原にいて、両手で持ち上げるほどの大きさの、美しい緑色をした蛙と遊んでいた。蛙は日を照り返して、ゼリーのように光っている。ここでの彼女は見違えるほど美しく、駅で会ったときとは別人のようだった。
湿気のないせいか、蛙がぐったりしてきた。ふと気が付くと、遠くの空に雲が生じ、みるみる広がって来る。雨を呼んだんだわ、と少女が嬉しそうに言った。少女が口をきいたのはこのときが初めてであった。驚くべき速さで雲は空を覆い、雨が降り出した。早く山を降りようという女に、直ぐやむかもしれないと答えながら、彼は蛙を見ていた。雨を降らせたのが、蛙なのか少女なのかはわからなかった。